夢は「世界に羽ばたくトップランカー」。ハングリーに生きるボクシング界のルーキー

Athlete # 14
プロボクサー
富施 郁哉

プロライセンス取得の約1年後、全日本新人王に

2017年にバンタム級の全日本新人王を獲得した富施郁哉は、目指すべきゴールから逆算して考え行動するタイプの選手だ。当時19歳だった富施は、「チャンピオンへの登竜門」とも異名がつく全日本新人王戦のタイトルを切望した。なぜなら、ランキング入りすることが目的だったからだ。

「全日本新人王獲得は、最短でランク付けされるチャンスなんです。ランカーになってこそ、日本チャンピオンや、トップランカーと試合ができるので、その権利を得るためにも新人王が欲しかった」

日本では、上位21位までの選手がランキングに名を連ねる(2018年4月に改定)。そこで12位以内に入ると、日本チャンピオンに挑む権利が得られるのだ。ランクインしていない選手がランカーとなるためには「ランカーに勝利する」か「全日本新人王を獲得する」かのどちらかの道が可能性として濃厚だが、前者にはさまざまなハードルがあり、現実的には難しい。その点、全日本新人王戦は毎年必ず開催されているので、ランカーとなるには確実なチャンスといえる。

富施は、プロライセンス取得の約1年後に全日本新人王となり、ランク入りを果たした。狙い通り、最短だった。

「人生は一度きり。やりたいことに挑戦したい」。高校卒業を待たずにプロへ転向

富施郁哉

富施がボクシングに出会ったのは中学時代に遡る。学校では陸上部に所属していた富施だが、学校外で空手を習っていた。そこでボクシングをしていた人物と出会ったことで人生が動き始める。少し教えてもらうと、次第にボクシングの魅力に惹かれていった。

中学3年生になる頃には「高校を卒業したらプロボクサーになる」と決意。出身の茨城県でボクシングの名門として名高い高校に入学した。サラブレットが多い部員の中で初心者の富施はメキメキと頭角を現し、高校2年生の1学期には県大会と関東大会で優勝、翌年3月の高校選抜では準優勝まで上り詰めた。この時点で大学のボクシング部からオファーが届いたが、それを富施はあっさりと断った。

「結果は準優勝でしたが、僕の中では『やりきった感』がありました。このままアマチュアとして続けるのではなく、早くプロになりたいという思いが強くなったんです。それに、もし大学に進学したら、自分の人生に逃げ道を作ってしまうような気がして」

「人生は一度きり。やりたいことに挑戦しながらハングリーに生きていきたい」。なんとも頼もしい気概である。富施は、両親に自分の素直な気持ちを伝えた。「高校を中退し、プロボクサーになりたい」と。すると、両親は反対せず、後押ししてくれたという。「父も格闘技やボクシングが大好きなので、賛成してくれたのだと思います」と嬉しそうに語る富施の真っすぐな性格は、父親譲りなのかもしれない。

富施は高校3年の5月で中退しプロを目指して上京した。その後、ヨネクラジムからプロデビューしたが、ジムの閉鎖に伴いトレーナーと一緒にワタナベジムに移籍している。

得意の「アウトボクシング」で会場が湧き上がるような試合を魅せる

富施郁哉

アマチュアとして22戦17勝5敗という結果を残した富施だが、プロ転向後の試合では「試合の質の違い」を痛感する。

「アマチュアの試合は1ラウンド2分、3ラウンドで試合終了です。相手との距離を保ちながら様子を見る時間はないため、ただ積極的に相手を倒しにいけばいい。でも、プロは1ラウンド3分で、強くなるに従い4、6、8、12ラウンドとラウンド数が増えていきます。当然、ペース配分も必要です。一発で倒しにいくというより、たくさんある戦術をどう使うか、頭で考えて戦うことが求められます。ボクシングは頭が良くないと強くなれないんだと感じました」

そして、最も大きく異なる違いは「ビジネスとしてボクシングの試合をしていること」だと富施はいう。

「アマとの決定的な違いは、プロではお客さんがお金を払って試合を観に来てくださるということです。お客さんが楽しんでくださるからこそ、僕たちプロは試合ができる。『会場が湧き上がるような試合を魅せる』という意識も必要だと思っています」

そのうえで、自身をこう冷静に分析する。

「どちらかというと、ディフェンスが得意で、打ち込む一発が確実なタイプ。距離を保ちながら攻撃する機会をうかがい、チャンスのときに攻撃に転じる『アウトボクシング』が得意なんです。だから、派手なタイプの選手ではないかもしれません」

富施が得意とする「アウトボクシング」は、有効打を多く当ててポイントを取ることを前提とした戦術だ。そのため、一発逆転要素の強いKOの確率は必然的に低くなる。また、接近戦で熾烈な打ち合いが続くような戦い方でもない。けれど、富施は力強く宣言する。

「自分の強みを活かしつつ、魅せ場の多い熱狂的な試合をお見せします」

ボクシングには夢がある。トップランクのボクサーになって恩返しを

富施郁哉

ボクシングに出会って初めて「自分が『生きられる場所』を見つけることができた」と富施は感じたそうだ。それまでは、本人いわく「目立つわけでもなかった」し、努力しても結果が思うように出ないことが少なくなかったが、ボクシングだけは違った。手応えを感じたスポーツだったからこそ、のめり込むのに時間はかからなかった。

「今まで打ち込んだものの中で、最も結果が出ているのがボクシングですね。それはモチベーションにもつながっていますね。そして、ボクシングには夢があります。強くなれば、日本チャンピオン、その先の世界チャンピオンにもなれます。いい試合をして人気が出れば、日本国内だけでなく、ニューヨークやラスベガスで大観衆の前で試合もできますし、ファイトマネーも桁違いに高額に。僕は海外から呼ばれるようなトップランクのボクサーになりたい。そのとき、どんな世界が待っているのか、それを見てみたいんです。その夢を叶えるために、今何が必要で、何をしなくてはいけないか分析し、ひとつひとつ積み上げていくことが大切だと考えています」

夢のあるボクシングだが、そこで脚光を浴びるのは容易いことではない。ボクシングの試合数は、多い選手で年4に回、チャンスに恵まれない選手は1年に1回ということもある。富施の場合、新人王戦に参戦していた2017年は年間5回の試合をしているが、今年2018年は5月と10月に開催される韓国戦が決まっただけである(7月現在)。モチベーションが低くなることはないのか、尋ねてみた。

「それはないですね。自分が抱えている課題があり、それをクリアすることに意識を向けています。試合回数が少ないので、一度の負けの影響がとても大きく、『負けたら遅れる!』という危機感は常にあります。試合も含め、いつどうなるかという見通しが付かないのもボクシングの特徴。だから、『どんなときでもチャンスを最大限活かさないと』という思いでいます」

「ボクシングの練習は正直キツいです。しかし、だからこそ試合で勝つ嬉しさは何物にも代えられません、それに、たくさんの方が試合を観に来てくれて応援してくれます。家族、地元の人たち、東京で知り合った人たち。出身地の茨城県で試合したときには、200人くらいの人たちが駆けつけてくれて……。こんなにも応援してくださるなんて感無量です。だから、もっともっと強くなって、応援してくれる方たちに恩返しがしたい。みんなの応援が僕の原動力なんです」

上昇志向が強く、手頃な成功より、遥か高みの成功を求めて計画を立てながら実行できる知略は抜け目ない。かと思いきや、さりげない気遣いができる気質もある。周囲の大人たちに可愛がられ、応援される理由がわかる気がした。世界を狙うルーキーの戦いは始まったばかり。夢をつかみ取れ。

文=佐藤美の