目指すは2026年日本開催「アジア競技大会」優勝。活躍を心に誓うカバディ選手

Athlete # 18
カバディ
菊地拓也

3年越しの”ラブコール”を断り続けた異色の日本代表

「カバディ、カバディ」とつぶやきながら、攻撃側がひとりで敵陣に切り込んでいくスポーツ、カバディ。センターラインで二分された比較的狭いコートの中で繰り広げられるスリリングな「鬼ごっこ」のような競技だ。

カバディ日本代表の菊地拓也は、日本カバディ協会のある理事から、「カバディをやらないか。君なら日本代表になれる」と声をかけられたが、それを3年間も断り続けたという異例の経緯を持つ。なぜそんなにも断り続けたのか。そして、どうして現在、カバディ中心の生き方をしているのか。そこには菊地の葛藤と決意があった。

選手人生から離れ、「人としての成長」を促せる教育者を目指す



カバディは、インド、パキスタン、バングラデシュなど、南アジア諸国で親しまれてきた伝統的なスポーツだ。紀元前、南アジア諸国では狩猟の際、武器を持たずに多彩なテクニックを用い、数人で獣を囲み、声をかけながら獣を狩る方法がとらていた。この狩猟がスポーツとして形を変えたのが、カバディなのだ。
もともとが狩猟だからなのか、ひとりで切り込んでくる攻撃選手を捕まえる際の反撃プレーは激しい。ひとりがタックルしてくる場合もあれば、獣を獲るかのごとく、数人で囲い、覆いかぶさってくる場合もある。室内競技だが、怪我に備えマットを敷き詰めて試合をする。

菊地はもともと、大学までラグビー一色の生活を送っていた。ラグビー強豪校の中高一貫校に入学し、高校時代は花園で熱戦を繰り広げた。ある大学のラグビー部からスカウトされていたが、さらに高みを望み、志望大学のラグビー部顧問に直談判しにいき、見事OKをもらい入学している。「ラグビーが好きだった」からこそ、ラグビー人生を切り拓いてきたのだ。

ところが、菊地が大学1年生の時、ラグビー部が世間を騒がせるほどの事件を起こしてしまう。菊地は当事者ではなかったものの、部の方針、人間模様などに違和感を抱き、悩みに悩んだ末「自分のいるべき場所はここではない」と判断し立ち去ることを決意する。そして、教育者を目指すべく大学を入り直すのである。

「スポーツに限ったことではありませんが、他者を否定して自己肯定感を高めるような考え方や悪しき習慣が、もともと嫌だったんですね。それがあの事件を機に、改めてそこに向き合うことになりました。そして、『教育者になって子ども達に人としての成長を促し、お互いを認め、切磋琢磨し合う大切さを伝えよう』と決意しました」。もしかするとこの時点で菊地は、「もう二度と選手にはならない」と決めていたのかもしれない。

大学を卒業し就職した先は、競争原理に頼らない教育で有名な「自由の森学園」で、菊地は保健体育の非常勤講師となった。実は、在籍していた保健体育の教諭が、偶然にも日本カバディ協会の理事であり、菊地は職場の先輩に3年間口説かれ続けたのだ。

自由の森学園は男子の部において、カバディの部活動がある唯一の学校で、菊地が就職して3年を過ぎた頃、カバディ部は「チャレンジカップ」という初級者対象の大会に出場することになった。しかし人が足りず、菊地に助っ人として声がかったのである。生徒たちの挑戦の後押しのつもりで大会に出場すると、期せずして菊地は活躍してしまった。それが日本カバディ協会の別の理事の目に留まることとなり、本格的なスカウトをされたのだ。そして、実際に試合を経験したことで、カバディの魅力に気づいてしまった菊地は、ついにカバディをやる決心をする。2016年6月のことである。

「自分のためにカバディをやりたい」。選手として再び舞台に立つ決意を固める



2016年7月から強化指定選手となり、仕事のかたわらカバディの練習に励む日々を送るようになった菊地は、同年10月インド開催のW杯に日本代表として出場する。強豪国インドをはじめ、東南アジアや韓国ではプロリーグがあり、カバディで生計を立てている選手も存在する。しかし日本は、競技の認知度もまだまだで、練習環境すら整っていない。そうした不利な状況ではあるが、競技を始めたばかりで初参戦のケニアに日本は負けてしまう。

「悔しかった」と胸の内を吐露する菊地だが、まだ彼の中で、「教育者の道に進むこと」と「自らが選手として活躍すること」と、どちらにウエイトを置くか迷いがあったようだ。そして2017年4月から、東京YMCA野外教育センターの野尻キャンプ施設員になり、東京を離れることに。
自然の中で、青少年に全人的な成長を促すプログラムを提供することは、菊地にとって充実した時間だった。しかし、頭の片隅には常にカバディ日本代表のことが存在していた。そんな中、同年11月イラン開催「アジア選手権」の選考を兼ねた「全日本大会」に出場するも、練習不足のため選考すらされなかった。自らの意思でカバディから離れたのだが、無念さはどうしても消えず、尊敬する老齢のキャンプ施設員に相談すると、「そんなチャンスは二度とない。挑戦しろ」と背中を押された。そして、かつて菊地を口説き続けた日本カバディ協会理事からの強い声かけもあり、菊地の気持ちが固まった。

「僕の中で初めて、『自分のためにカバディをやりたい』と思えた。ラグビー時代は、好きで始めたはずが、気がついたら自分以外の誰かのためにラグビーをしていました。例えば、応援してくれている両親や家族、チームメイト、チームの勝利のためとか…。『自分が上手くなりたいから』とか、『自分がやりたいからやる』とは考えていなかった。でも、カバディは違った。『アジア大会で自分の活躍する姿を目指したい』『自分のためにやりたい』そう思えました」

2026年愛知アジア競技大会、金メダルが目標。カバディの魅力を伝えたていきたい



2017年11月のアジア選手権、その後の2018年8月のアジア競技大会でも、日本は振るわない結果に終わっている。そこには、指導者不足、ルール改正に対応できていない日本の戦術、より一層のスキル向上などの課題が山積みとなって存在している。そこをコツコツと変えていかなくてはならないようだ。菊地個人としては、2018年10月初旬に、前十字靭帯切断のため手術入院し、復帰に向けてリハビリ中である。

「2019年2〜3月にかけてドバイでW杯があります。僕はまだ復帰は無理でしょうから、マネージャーとして参加したいですね。そしてまずは、2022年杭州のアジア競技大会でメダルを獲りたい。そのためには、僕と同じように大柄の選手層が必要になるでしょう。世界の選手は日本よりも体格の良い選手が多く、比較的小柄な日本人は体格的に不利です。
僕自身としては、本場インドに渡り、インドのプロリーグにトライアウトして、ステップアップすることと、優秀な指導者と接点を持てるような人脈つくりを考えています。そして、2026年のアジア競技大会での金メダルが僕の最終目標です。この時の開催地は愛知県、日本のみなさんに観戦していただける絶好の機会です。このチャンスを逃したくない」

選手としての野望を持ち、着々と準備をしながら、教育者としての理想実現も忘れない。在籍している「東京レイズ」でも、技術指導や選手育成にも力を入れている。
「将来、カバディを体育教材として教科書に載せたい。現在の体育授業は怪我防止のため、対人接触のない競技を教材にして授業が行われています。もちろんそれも理解できますが、人と人が触れ合うからこそ、分かることがたくさんあると僕は思うんです。人の痛みや、力加減、思いやる心など。そういう視点で考えると、カバディは日本社会に貢献できる価値あるスポーツです。だから、今後はもっと普及していきたいですね」。菊地の内なる想いを形にする道は始まったばかりだ。

文=佐藤美の

カバディ/Kabaddi

アスリート名

菊地拓也

競技名:カバディ

生年月日:1988/06/11

出身地:神奈川県

身長・体重:185cm/85kg

血液型:O型

趣味:料理、散歩

競技名:カバディ

生年月日:1988/06/11

出身地:神奈川県

身長・体重:185cm/85kg

血液型:O型

趣味:料理、散歩

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