Athlete # 07
男子ビーチバレー
柴田大助(丸紅建材リース株式会社)
このままでは上には絶対にいけない
「平日の5日間はボールに触れず、練習できるのは週末のみ。それでは、どうしたって限界がある。仕事をとるか、ビーチバレーをとるか。10年後に後悔しない選択はどっちなのか。本当に悩みました」
大学でビーチバレーを始めた柴田は、卒業後も企業で働きながらビーチバレーを続けた。建築資材のリースをおもな事業とする会社に勤め、早朝5時台の電車に乗って職人のいる現場に直行。その日の作業が終了したら会社に戻り、事務仕事。家に帰ると22時を過ぎていることも少なくなかった。
平日はビーチバレーとは無縁の生活を送り、週末だけビーチバレーに打ち込む。土曜日に前週の感覚を取り戻し、日曜日に少し前進する。しかし平日に戻るとその感覚は薄れていき、次の週末はその感覚を取り戻す作業から始めなければならない。自分はレベルアップしているのか、成長を実感できない日々が続いた。
そんなとき、柴田の意思を決定づける出来事が起きる。
社会人1年目は、おもにU23の大会に出場。思うように練習ができなくても、ほぼすべての大会で優勝し、その勢いのまま臨んだワンランク上のサテライトの大会で、準決勝まで進んだことがあった。しかし、マッチポイントまで獲得しながら足がつってしまい、暑さにもやられて途中から体が動かなくなって逆転負けを喫したのだ。
U23では無敵の強さを誇ったが、サテライトではベスト4止まり。その上のジャパンツアーでは5位になるのが精一杯だった。頂点に立つには、圧倒的に技術も体力も足りない。原因は明らかに練習不足だった。
「このままでは上には絶対にいけない」
そのことを痛感した柴田は、会社をやめてビーチバレーに専念してトップを目指すか、それとも社会人プレーヤーとして地道に選手活動を続けるか、悩み続けた。そして10年後、後悔しないために、2018年3月にプロになることを宣言した。
ビーチバレーではバレーボールがうまいやつが勝てるとは限らない
「大学でビーチバレーを始めた頃は、本当に何もできませんでしたね。体力には少し自信があったけれど、砂の上ではまともに飛ぶことさえできない。しかもインドアのバレーボールは6人がコートにいるけれど、ビーチバレーはふたり。次の次のプレーはかならず、自分にまわってくる。つまり、動き続けないといけないし、常にパートナーが動きやすいようなプレーをしなければいけない。コンビネーションがすごく大事なんですね。だからワンプレー、ワンプレーの集中力がすごく求められる。ビーチバレーは、本当に奥が深いんですよ」
ほかのビーチバレーのトップアスリートとは異なり、柴田は小さい頃からバレーボールに打ち込んできたわけではない。小学校は野球部、中学は帰宅部、高校で初めてバレーボール部に所属した。1年目はほとんど球拾い。2年生になってようやくコートに立てるようになると、恵まれた体格と類い稀な運動能力ですぐにレギュラーの座を勝ち取った。特にジャンプ力はバレーボールでは圧倒的な強さとして発揮。打点の高い破壊力のあるスパイクは、高校3年のときにチームを県予選では最高位となるベスト4へと導いた。
その活躍からいくつかの大学から推薦の話もあったが、進学した大学では体育会バレーボール部には入らず、ビーチバレー同好会に入部した。だから本格的なバレーボール歴といえば、わずか2年しかない。大学でバレーボール部に入らなかったのは、どこか体育会気質が肌に合わなかったからだ。
代わりに入部したビーチバレー同好会には、高校の全国大会に出場したツワモノもいた。大会に出場することはなかったがレベルは高く、みな全力でビーチバレーを楽しむのがクラブの方針。その中で柴田は誰よりも真剣にビーチバレーを楽しんだ。
同じバレーボールでも、インドアとビーチとでは、人の数も、環境も異なる。バレーボールのテクニックや戦術に長けていても、例えば風を読む力がないとビーチバレーの試合では勝てない。コートの場所によって、自然に左右される有利・不利があるのだ。
「有利なのは、風下のとき。風上で風が強いときは、サーブさえなかなか入らないし、レシーブもしっかりと風を計算しないと、ボールに回転がかかってすぐに飛んで行ってしまう。でも風下ならば、ある程度、思い切ったプレーができる。だから風の強い日の試合では、風下のときにいかにリードするかがポイントになってきます。大会は台風のような日でも開催されるので、風を読んで味方につける知識とテクニックが、ビーチバレーではすごく重要になってくるんです」
ビーチバレーでは、バレーボールがうまい選手が絶対に勝つとは限らない。そうしたビーチバレー特有のテクニックや緻密な戦略を追求することに、柴田はのめり込んでいった。
退職願も用意した数日後、会社から思いもよらない決断を聞く
転機が訪れたのは、大学4年のときだ。腕試しに出場したU23の大会で表彰台に上ったが、優勝は逃した。この初めて出場した大会をきっかけに、ビーチバレーは”仲間と楽しむ”ものから”勝負にこだわる”ようになり、さらに”もっと強い選手に勝ちたい”という思いが芽生えていった。そして試合を重ねれば重ねるほどその思いは強くなり、いつしかオリンピックを夢見るようになっていた。
ところがその思いに、現実が追いつかなくなってきたのだ。
社会人になってもビーチバレーを続けたが、仕事との両立はむずかしく、気持ちに身体がついていかない。シーズンを戦っていく中でずっと「このままでは勝てない。だめだ」と思い、会社をやめてビーチバレーに専念しようと何度も考えたが、なかなか会社をやめる決心がつかずにいた。
仕事は大変だったが、会社が好きだったからだ。まわりの人に恵まれ、先輩や職人から学ぶことがたくさんあった。そんな世話になりっぱなしの会社に対して、何も貢献できていない中途半端なやつが仕事をやめてビーチバレーに専念したところで、結果なんかだせないのではないか。葛藤を抱えながらずっと結論を出せずにいたが、明らかな練習不足で敗退したサテライトで経験した悔しさが忘れられず、柴田はビーチバレーに人生をかけることを決めた。
プロになることを決断した日、帰りの電車から上司に思い切ってその気持ちをLINEで伝えた。かねてから柴田のビーチバレーにかける思いを聞いていた上司は、ひとこと「いい決断をしたね」と答え、翌日には会社の役員会にまで話を通してくれた。
このとき、柴田は会社をやめるつもりでいた。ところが退職願も用意していた数日後、思いもよらないことが会社から伝えられた。
「会社は、あなたの夢を応援します。」
丸紅建材リースにとっては初めてとなる、嘱託のアスリート契約という条件を提示されたのだ。給料こそ減ったが、それでも所属先があるとないとでは、選手活動をする上で大きく異なってくる。この会社の寛容な決断に、柴田のオリンピックへの思いはさらに強くなったという。
プロ宣言したものの、まだ1年を通してビーチバレーに集中できる環境にはない
2018年2月。柴田は、プロになることを決断させるひとつの要因にもなった、世界大学選手権の日本代表最終選考会に参加した。23歳の柴田にとっては同大会に出場できる最後のチャンス。初日は体力測定のほか、面接・小論文のテスト、2日目はゲーム形式の実践テストが行われた。3月から正式にプロとして活動を始める前の、サラリーマンとして挑む最後の大勝負だった。
そして3月1日。選考会の結果が発表された。結果は合格。自身初となる国際大会、世界大学選手権は7月にドイツで開催される。柴田のプロ生活はこれ以上ない、幸先のいいスタートを切った。
プロに転向して、生活は一変した。週5日でビーチバレーの専用コートが常設されている川崎マリエンに通い、フィジカルトレーニングと、ビーチバレーのトレーニングをバランスよく組み合わせながら、テクニックとフィジカルの両方を鍛えていく。そして週末は、さまざまな選手が集まるビーチバレーの会場へ出向き、試合形式のトレーニングで経験を積み重ねていく。まさに、柴田が望んでいた”ビーチバレー漬け”の毎日を過ごしている。
目下の課題は、基礎体力と、バレーボールの基本テクニックを改めて鍛え上げること。社会人1年目で露呈した、最後まで勝ち抜く筋力不足を解消しない限り、上位にはいけない。また、インドアの場合、ひとりのミスは残りの5人でカバーできるが、ペアで戦うビーチバレーではどちらかのミスは致命的なものになる。そのためには、まずはミスをしない基本テクニックを徹底的に磨き上げることが大切だと、コーチから指摘されたのだ。
しかし、環境は整ったが、生活は決して楽ではない。日々の生活費のほかに、遠征には宿泊代や交通費など、シーズン中の活動費は月に数十万円かかる。シーズン中の活動費を稼ぐために、オフの間は会社から許可をもらい、練習をしながらアルバイトにも励む予定だという。プロ宣言はしたが、安定した収入を得て、1年を通してビーチバレーに専念するには、まだまだ時間はかかりそうだ。
チャンスがきたときにしっかりと勝ち切れるように準備をする
基礎体力と、バレーボールの基本テクニックを見直す地道なトレーニングを重ね、迎えた2018シーズン。主戦場はもうU23でもサテライトでもない。日本のトップアスリートが集まる、ジャパンツアーだ。目標はあくまで優勝。しかし、第1戦沖縄大会、第2戦東京大会は、ともに5位に終わった。
「まだまだ、圧倒的な力不足を感じています。でも、昨年から比べれば、何をすればいいのかが明確にわかっているし、レベルアップしていることも実感できているので、今は我慢ですね。ひとつひとつ、コツコツと力をつけながら、チャンスがきたときにしっかりと勝ちきれるように準備をしていくだけ。その先に、オリンピックが待っている」
今、日本のビーチバレー界は、急速に力をつけている。越川優、石島雄介という、全日本でエース級の活躍をし、オリンピックにも出場した世界レベルのバレーボール選手が揃ってビーチバレーに参戦。5月にバンコクで開催されたワールドツアーでは、高橋巧(了徳寺大学)/石島雄介(トヨタ自動車株式会社)組が、日本人男子としては初めて優勝を果たした。2020東京オリンピックには、誰が出場できるのか。オリンピックを前に、熾烈な戦いが繰り広げられることが予想されている。
「東京まであと2年。代表選手になるには、ワールドツアーを12大会以上出場していることが条件になるので、今年から本格的にジャパンツアーに参戦し始めたばかりの僕が代表に選ばれるには、相当活躍しないといけない。正直、厳しいです。でも絶対に最後まであきらめることはしたくない。母国で開催されるオリンピックなんて、一生にあるかないかのチャンスですから。もし東京にでられなかったら、次の4年後のパリ大会では、僕は絶対に日本のトップ選手として出場します。後悔しないために、すべてをビーチバレーにかけるという決断をした自分のために、そしてその決断を応援してくれる会社のためにも、オリンピックに出るまで僕はやめるわけにはいかない」
柴田大助、現在、23歳。2018年3月にプロ宣言。その夢への道のりは、まだ始まったばかりだ。
写真協力=©JBV