Athlete # 10
ウィルチェアーラグビー
官野 一彦
2016年のリオでは銅メダルを獲得。目指すは東京での金メダル
試合中に表情をあらわにすることなく緻密で計算高いプレーから「ミスタークレバー」との異名を持つ、ウィルチェアーラグビー日本代表の官野一彦。この競技を始めたのは2006年。なんとその翌年(2007年)には日本代表入りし、以来、日本ウィルチェアーラグビー界を牽引してきたキープレーヤーの一人である。
障がい者五輪正式種目のウィルチェアーラグビーは、バスケットボール、ラグビー、アイスホッケーなどの要素を採り入れた競技だ。4人制で、男女の区別はない。スピード感と車いす同士の衝突音、選手同士の駆け引きが魅力だが、迫力あるタックルでは車いすが横転し、試合中に修理するケースも。車いす競技の中でも激しいスポーツがゆえに、北米では「マーダーボール(殺人球技)」と呼ばれていた歴史もある。
「ミスタークレバー」官野の特徴は、相手チームを翻弄する巧妙なチェアーワークだ。車いすの特性を活かして対戦相手の行く手を阻みながら相手のミスを誘いつつ、味方が攻撃しやすいように試合を運んでいく。そんな官野はこれまで障がい者五輪に2度出場し、2012年のロンドンでは4位、2016年のリオでは銅メダルを獲得している。現在の目標は、2020年に開催される障がい者五輪での金メダル獲得だ。
金メダルを獲った人にしか見ることのできない景色をチームメイトとともに
「銅メダルを獲って嬉しかったのは事実です。ですが、障がい者五輪が終わった後に『まだやり残したことがある』『もっとやれることがある』とも思いました。それに、メダリストになれば何かが変わるかもしれないと期待していたのですが、驚くほど何も変わらなかった。『もしかすると、金メダルを獲って初めて何かが変わるのかな』と。ただ、それもわかりません。しかし、金メダルを獲った人にしか見ることのできない景色を僕は見てみたい」
こう語る官野の心の中には、チームメイトの存在が大きく影響している。ウィルチェアーラグビーは、車いすの操作やボールを扱う能力(障がいの程度)によって選手を7段階に分類し(障がいの重い順に、0.5、1.0、1.5、2.0、2.5、3.0、3.5)、試合では4名の選手の合計点が8点以下でなければならない。また、女性選手が入ると1名につき、合計点が0.5ずつ増える。持ち点の高い(障がいが軽い=ハイポインター)選手が主に攻撃にまわりポイントを獲得する役目を担い、持ち点の低い(障がいが重い=ローポインター)選手は守備を担当。ハイポインターがゴールしやすいように動く。ちなみに官野は2.0だが、チームメイトの中には持ち点の低いローポインターも在籍している。
「比較する言い方はあまりしたくないですが。練習メニューは障がいに関係なく同じです。だから、障がいが重ければ重いほど、練習についていくのは大変なはずですが、障がいの重い選手もすべての練習をこなしています。それができるというのは、その人が日頃どれだけ努力をしているかの証。そういう姿を目の前で見て一緒に練習していると『自分も、もっとできるはずだ。ここで手を緩めてはいけない』と鼓舞されますし、尊敬の念を抱きます。そして、『金メダルを獲る』とチームメイトと決めた目標を叶えるため、気が引き締まります。今の僕は、その思いが圧倒的に強いですね」
海の事故で頚椎骨折。ウィルチェアーラグビーとの出会いで喜びを分かち合う幸せを知る
そんな官野がウィルチェアーラグビーに出会ったのは2005年のこと。2003年、サーフィン中の海の事故で海底に頭を強打し頚椎を骨折。意識はあったが、手足が動かなかった。幸いなことに仰向けに海上に浮かんできて一命をとりとめた。
しかし、医師からは「もう歩けない」と宣告され、絶望の淵に立たされる。暗く沈んでいた官野の意識が再起に向いたのには母の存在が大きかった。いつも明るく振舞っていた母が、隠れて泣いていた。その姿を偶然見た官野は「もっと強くならなくては」と決意したという。
入院中、車いすバスケットボールをテレビで観戦した官野は「車いすバスケで障がい者五輪に出場する」と周囲に宣言した。ところが、自分の障がいを正確に把握すると、その目標が実現不可能だと知る。
「車いすバスケでは、ボールを手で持ってドリブルやシュートしますが、僕には握力が足りない。
他に何かないか探していたとき、たまたま『ウィルチェアーラグビーをやらないか』と声をかけられました。それが2005年の12月で、2006年の1月からウィルチェアーラグビーを始めることに。始めてみて気づきましたが、チェアーワークの機敏さ、車いす同士ぶつかり合う激しさなど、僕の性に合っていました」
こうしたテクニカルな側面以外でも、官野はウィルチェアーラグビーの魅力に魅了されているという。
「ウィルチェアーラグビーの醍醐味はチームプレーです。誰か一人のスタンドプレーで点が入ることはありません。だから、試合の勝利はチーム全体の勝利で、勝ったときにはチームのみんなで喜びを分かち合います。僕一人だけが喜びを味わうスポーツだったら、続けていなかったかもしれない。僕一人の喜びは、それだけで終わってしまいますが、チーム一丸となって勝利を達成した喜びはどんどん広がっていくような気がするんです。そういう幸せは、ウィルチェアーラグビーに出会って初めて得たことですね」
初めて日本代表入りした2007年、千葉市役所に勤めることになった。定時で仕事を終え、練習に専念するつもりだったが、ちょうど業務の多忙な時期と重なり連日残業。指が思うように動かせない官野は、当然、人の何倍もの時間がかかってしまう。それでも必死になって仕事に喰らいつき業務を遂行し、仕事はすべて期日までに間に合わせたという。すべてが初めてだらけの環境、しかも指が思うように動かない状況で一つひとつクリアしていく。想像するだけで心が折れそうになるし、気が遠くなりそうだが、官野の性格上、「できない」「無理です」と諦めるという選択肢はなかった。
「『障がい者だからできない』といわれたくなかったという意地もありましたね。もちろん大変でしたけど、この状況をどう自分の成長につなげるか、何か学ぶべきことはあるか、と考えました」
”初めての障がい者枠”で採用された官野に対し、どう接していいか困惑していた周囲もその一生懸命な姿に心を打たれ次第に打ち解けていく。市役所を退職した今でも、当時の同僚たちは変わらず応援し続けているそうだ。ウィルチェアーラグビーに出会って以来、官野の周りには仲間が増え続けている。
家族や職場の仲間に感謝。好きなことだから自分の力で挑戦し続けたい
官野は現在、公益財団法人日本オリンピック委員会が日本パラリンピック委員会と協力し行なっているトップアスリート就職支援「アスナビ」を通じ、ダッソー・システムズ株式会社の社員となっている。
「ダッソー・システムズの方々には、全面的に僕のことを理解していただいているので、感謝しかありません。家族を守れるのも会社のおかげです」
実は、ウィルチェアーラグビーにかかる個人的な活動費や、約150万円する完全オーダーメイドの競技用車いす費、車いす維持費などの諸経費は、全国各地の講演活動などでまかなっている。「自分が好きでやっていることだから、家族に迷惑をかけずに自分でお金を捻出する」というのが官野のポリシーだ。
そして最後に、今の心境を語ってもらった。
「2020年の東京に目標を定めています。その後のことは今から考えても仕方がないので、そのときになったら考えるでしょうね。それよりも、そこでどこまでできるか挑戦したい」
取材後、ランニング練習を見学させてもらった。アップテンポの音楽を流しながら軽快に車輪を漕ぎ、時折、感情を吐き出すように叫ぶ。カーブを曲がるときに車体に身を任せ、車体と一体になるかのような姿が美しかった。それを伝えると「得意なところでカッコいいといわれるのは普通だから、素の自分をカッコいいといわれたいですよ」と笑顔を向けられた。
つらい体験も明るく語る官野の話を聞いていると「人生、諦めることなんて何もない」と思えてくる。2020年東京で、金メダルを獲得しチームメイトと歓喜する官野をこの目で観てみたい。
文=佐藤美の