Athlete # 03
タッチラグビー日本代表
奈良 秀明
「日本代表になれる」。その言葉に可能性をかけた
飾らない気さくな笑顔がトレードマークの日本タッチラグビー界のエース。それが奈良秀明。世界トップランクの選手として、そして、タッチラグビー日本代表キャプテンとして、今まで日本のタッチラグビー界を牽引してきた。そのタッチラグビーは、日本体育大学入学後に偶然始まる。タッチラグビーサークルのポスターに書かれていた「日本代表になれる」という言葉に惹かれたのだ。
「率直に『日本代表になれるなんてすごい!』と思いましたね。高校まで続けてきた野球では今後の自分の可能性を感じられなかったのですが、『タッチラグビーで自分を表現できるかもしれない』と直感的に感じました」
タッチラグビーは、1960年代のオーストラリアでラグビーリーグ選手のウォームアップ用として開発された歴史の浅いスポーツである。最初の目的がウォームアップであったこともあり、ラグビーのようなタックルやキックといった激しいプレーがなく、最小限の接触(タッチ)でプレーするのが特徴だ。そのため、子どもからシニアまで男女問わず楽しむことができ、日本では1989年から普及し始めた。タッチラグビーの世界に飛び込んだ奈良も「誰でも一緒にプレーできる親しみやすさ」にも魅力を感じたという。
「タッチラグビーの部門は『男子』『女子』『男女混合』とあり、僕は最初から男子部門でしたが、練習は男女一緒にしていました。野球では完全に男だけでしたので、新鮮でしたね」
日に日にタッチラグビーの楽しさを知る奈良だったが、ポスターで見た「日本代表のチャンスがある」ということは常に頭から離れなかった。日本代表選抜が行われる情報を知ると、すぐにエントリーする。
初めてのワールドカップで世界4位も、その後に訪れた「孤独」
当時は現在よりも競技人口が少なかったため、日本代表練習には試験もなく参加できた。強化合宿中に選抜されることになったのだが、奈良は無事に最終の16人に選ばれ日本代表選手としてオーストラリア遠征に参加する。2001年秋、奈良が18歳のときだった。そこで初めて見る世界レベルの選手たちのプレーに刺激を受けた奈良は、自分の立ち位置を痛感し、さらにタッチラグビーにのめり込んでいくことになる。もともと成長意欲が高く、努力を努力と思わない奈良は、急成長し日本トップ選手へ。そして迎えた2003年のワールドカップでは、メダルには及ばなかったものの、日本は世界4位の成績を収めた。
奈良は早くも4年後のワールドカップを見据え、タッチラグビーをやめることは考えもしなった。しかし、日本には実業団もなく、世界のトップ選手でも本業と掛け持ちしながら続けている現状。タッチラグビーだけでは生計が立たないため、情熱を注ぎ続けられる選手はそれほどいなかった。大学を卒業した奈良も、社会人として働きながらタッチラグビーを続けていた。
「タッチラグビーを始めて5年もすると、残念なことに周囲との開きが生じ、日本では力を加減してプレーするようになっていました。全神経を研ぎ澄まし、わき目もふらず没頭できるのは、海外での試合だけ。それに、せっかく一緒に戦って育った選手が就職などで次々にやめていってしまう。僕だけがずっと続けている状況でした」
チームワークを重んじるタッチラグビーが好きな奈良としては、寂しく思ったことに違いない。愛してやまないタッチラグビーを本気でプレーできず、日本のトップを走り続けても一緒に夢を追いかけてくれる仲間がやめていくのだ。そんな‟孤独”が、29歳の頃まで続いたという。
世界23か国を旅して「タッチラグビーで生きる」と決意
孤独感や将来への閉塞感、さまざまな思いが去来し、「もうタッチラグビーをやめようと思った」と奈良は言う。
「その当時の仕事も僕には合わず行き詰まっていたので、すべて一旦リセットしようと思ったんです。それで、世界一周旅行でもしたいなと(笑)。せっかく海外を旅するなら、タッチラグビー競技に参加している国々を巡り、タッチラグビーをやりながら世界一周することにしました」
そもそもタッチラグビーをやめようとしている人間が、タッチラグビーをやりながら世界を巡りたいと考えるところからして微笑んでしまう。壁にぶつかっても、タッチラグビーから離れたいと思っても、それよりも「タッチラグビーへの愛」が大きいのだろう。アジア、オセアニア、ヨーロッパを巡る旅は、奈良を人間として大きく成長させた。
「各国の現地の選手にコンタクトを取りました。海外の選手とも交友関係があったので、みんな快く『じゃあ僕の家に泊まりなよ』とか『あそこの街に知っている選手がいるから、紹介してやるよ』とか言ってくれて。現地に行くとプロアマ関係なくチームに仲間として入れてもらいました。そのお礼として、アマチュアの選手や子どもたちに指導してあげたのですが、とても喜ばれて嬉しかったですね」
また東南アジアでは、サッカーで上を目指す選手に個人・団体指導をする仕事が成り立っていることを知った。「タッチラグビーの個人・団体指導が仕事になるのではないか。今までそんな発想すらなかったので、新たな可能性が広がりました」と奈良。現在、日本人が憧れるラグビー世界トップ選手のステップを独自で習得し、ニュージーランド式ステップとして指導方法を編み出した。そのステップをラグビー選手などに伝える個人指導をはじめ、子どもたちにもタッチラグビーを教えているが、コーチ・奈良が誕生するきっかけとなる出来事だったようだ。ちなみに、奈良のステップは現在の日本代表にも受け継がれ、日本のタッチラグビーの競技レベル向上に貢献。今では全国からオファーがあり、指導者としても活躍の場を広げている。
23か国を旅して帰国したときには、タッチラグビーで生きていくことを決意。「この旅で今までの迷いが吹っ切れ、『世界で出会った人たちを、タッチラグビーを通じて幸せにしよう、笑顔にしよう』と決めることができました」
2019年大会では「優勝」を合言葉にチーム一丸
2015年に行われたワールドカップでは、日本は順位をひとつ下げて5位に終わった。その悔しさをバネに、2019年大会では「優勝」を合言葉にチーム一丸となっている。
「今のタッチラグビー日本代表は、みんなレベルアップしてきています。今年3月にオーストラリア遠征したときも自分たちの課題をクリアできたことを実感しましたしオーストラリア人の日本代表監督にも再会でき、現地でみっちり指導していただきました。優勝を狙える手応えを感じています。僕自身は、来年のワールドカップが日本代表として最後の舞台となるでしょう。もちろん、選手としてはその後も活動していきますが、今はワールドカップに焦点を絞っています」
日本のタッチラグビー界を文字通り引っ張ってきた、奈良秀明にとって世界への最後の挑戦。最も輝くメダルを首にかけ、凱旋帰国してほしいと願わずにはいられない。
文=佐藤美の