Athlete # 01
プロサーファー
田中 樹
「現役だからこそできることがある。世界で戦える日本人サーファーを増やしていきたい」
千葉県・いすみ市在住の田中樹プロとサーフィンの出会いは、彼が小学5年生のころにさかのぼる。それまでは野球やサッカーに熱中し、海では海水浴をする程度だったが、たまたま始めたサーフィンが楽しくなり、サーフィンの大会に出場。さらに上位入賞や優勝をキッカケに、ますますハマっていった。
「野球やサッカーには自分でもセンスを感じていませんでしたが、サーフィンならイケるんじゃないかと思ったんですね。大会で勝つのが嬉しくて、小学校で何かのときに目標を発表することがあって、『サーフィンで日本一になる』って書いた記憶があります。それから一生懸命サーフィンを練習して、アマチュアの全日本選手権にも挑戦しました」
全日本選手権は、日本サーフィン連盟(NSA)が主催する日本最高峰のアマチュア大会。年齢別にいくつものクラスがあり、当時アマチュアだった田中プロは高校2年生でジュニアクラスで優勝。ジュニアの日本一に輝いた。
「もちろんジュニアで優勝できたことは嬉しかったですが、それではまだ日本一じゃないと思いました。アマチュアには大人のクラスもありますし、その上にはプロがいます。アマチュアとプロの差は歴然。プロの世界でチャンピオンにならないと本当の日本一とはいえないと考えて、プロサーファーになる決心をしました」
日本には国内を転戦するプロツアーがある。年間でおよそ6〜8試合が行われ、試合毎に優勝者が決まる。さらに1つひとつの試合の順位によってポイントが与えられ、年間を通したグランドチャンピオンが決定される。
このプロツアーに出場して賞金を獲得するプロ活動を行うためには、日本プロサーフィン連盟(JPSA)が行うトライアルに合格する必要がある。田中プロは、ジュニア日本一になった2000年にトライアルに挑戦し合格。プロサーファー田中樹が誕生した。
日本一になるために、海外へ武者修業にでる
プロ転向後も、その成長曲線は伸び続けた。2002年にツアー初優勝を飾ると、2003年、2004年は、連続して年間ランキング2位と素晴らしい成績を収める。しかし、満足はしていなかった。
「実はもっと簡単にグランドチャンピオンになれると思ってたんです。でも2年連続してチャンピオンになれなかった。それで海外の試合を回ることにしました。武者修行ですね。日本にもうまいプロサーファーはいますが、海外にはもっとうまい選手がそれこそ層をなしています。その中に混じることで良いサーフィンを直接目にできますし、それを吸収することで自分のサーフィンももっと良くなるはずですから」
海外では、簡単には勝てない。けれど高いレベルで揉まれることの大変さよりも、むしろ心地良さを感じていた。コンペティター独特の感覚だ。そこで感性と実力を養った田中プロは、帰国した際にスポット参戦する日本のツアーで圧倒的な強さを見せつけ、優勝を重ねる。
そして海外転戦を終え、本格的に日本のツアーに戻った2009年、最終戦で優勝した田中プロは、ランキング2位からの逆転でグランドチャンピオンを手にした。小学生のときに立てた「サーフィンで日本一になる」という目標を、実現したのだ。
日本のサーフィン界の現状と課題
2020年東京オリンピックでサーフィンが初めて競技種目として採用され、いすみ市に隣接する一宮町で行われることになった。プロにもアマチュアにも出場資格があり、約80名が強化指定選手に選ばれる。しかし日本人選手の出場枠は男女ともにわずか1人ずつしか選ばれない、狭き門だ。
世界最高峰のプロサーフィンツアーに、「ワールド・サーフ・リーグ(WSL)」があり、さらにその中でもトップ34人(女子は17人)だけが出場できる「ワールド・ツアー(WT)」がある。現在、WTに出場している日本選手は、カノア五十嵐選手ただ1人。このまま順当に行けば、東京オリンピックには日本選手として唯一、世界で戦える実力を持つカノア選手が選ばれる可能性が高い。
しかし、カノア選手がWTのトップ10に入ればシード選手となって枠が1つ増えるため、強化指定選手にもチャンスが巡ってくる可能性はある。
「個人的には、20代半ばくらいまでの選手が選ばれてほしいですね。というのも、若い選手なら東京の次の2024年につながると思うからです。東京オリンピックに出た選手は、その経験を基にさらに成長するでしょうし、その選手を目標とする選手がたくさん出て日本の競技サーフィンのレベルが上がることが期待できる」
かつての田中プロがそうだったように、今も若手選手がWTの下のカテゴリーである「ワールド・クオリファイ・シリーズ(WQS)」という海外ツアーに挑戦し、実力を養っている。
「自然相手のサーフィンは、海底の地形や気象など現地のさまざまな情報が重要なスポーツです。条件によってボードやフィンのタイプを選ばなくてはいけなくて、インターネットがなかった時代は、すべて国際電話などで問い合わせなければいけませんでした。海外選手と比べて実力だけではなく、こうしたハンデがあったんですね。
インターネットやSNSなどの通信環境が発達した今は、昔に比べればはるかに情報を得やすくなり、その点では海外転戦の垣根は低くなってきています。それでもWSLは個人参加ですから、費用の面では以前と変わりなく、みんな苦労している点ですね」
どの国のプロサーファーもアメリカ、ヨーロッパ、アジア、南半球、太平洋の島々と世界各地で行われる試合に出場し、ランキングを上げてWTサーファーになることを目標にしている。その転戦にかかる費用は基本的には自己負担。1年間海外を転戦するには日本円で600万円ほどかかるという。
試合に勝てば賞金が獲得できるが、WQSの場合、ランキングトップ10くらいに入らないと持ち出しになってしまう。スポンサーや、若い選手は家族からの援助があるとしても、経済的にはかなり厳しいというのが現状だ。
それでもサーフィンを続けるのは、強い意志があり、夢があり、何より純粋にサーフィンというスポーツを愛しているからにほかならない。
現役プロサーファーがコーチングをすることに意義がある
プロデビューから18年余、35歳の現在も田中プロはランキング16位までのトップシードと呼ばれる位置をキープし続けている。そして現役のトッププロであると同時に、日本ではまだ数少ないプロのサーフコーチとしての顔も持っている。
「海外を回っていたときは、同じプロの仲間と一緒でしたが、試合は原則、1人で戦っていました。周囲を見ると、例えばアメリカの選手には必ずコーチがついていて練習や試合運びのアドバイスをしています。プロに限らずどんなスポーツにもコーチはいると思いますが、当時、日本のサーフィンの世界にはサーフコーチという職業もなければサーフィンのコーチングをするという文化もありませんでした。そのころから、将来的にプロのコーチになって若いサーファーの育成や、試合でのタクティクスを教えたいと思い始めていましたね」
JPSAのグランドチャンピオンをどうしても獲得したかったのは、「サーフィンで日本一になる」という目標に加え、コーチを意識してのことだった。田中プロが考えていたのは、自らのサーフィンの経験を活かして試合で勝つためのコーチングをすること。選手とコーチの信頼関係を築くには、チャンピオンという「格」も必要だと考えたのだ。
「最初は自分が海外を転戦した経験から、当時高校生くらいの選手たちに『これから世界を回るにあたって』をレクチャーすることから始めました。先輩としてのアドバイス的な部分ですね。ちょうどそのころ『ジャパン・ジュニア・プロジェクト(JJP)』が立ち上がり、僕もコーチとして参加させていただくことになったんです」
JJPは、日本のジュニア選手を育成する民間のプロジェクト。4月から12月に行われるWSL ASIA/JAPANジュニアシリーズから代表選手を選抜し、田中プロは翌年1月に行われるWSLのワールドジュニア大会に向けた強化合宿や、大会でのコーチングを行っている。
これとは別に、年間あるいはスポットでプロサーファーと契約し、彼らの試合に帯同してコーチングもしている。田中プロのコーチングは、試合で勝つためのもの。その試合を通したジャッジの傾向や点数の出る技を分析し、対戦相手のサーフィンの特徴を見極め、海の上にいる選手に身振り手振りで伝える。そうしてまずは波取り合戦を勝利に導くことが、コーチとしての田中プロの役割だ。
「海の上にいる選手より、陸にいるコーチの僕のほうが広い視野で試合を見ることができます。その上で戦術の指示を出しますが、受け入れるか否かは選手の意思次第。コーチをしていて嬉しいのは、選手がそうした僕の指示を受け入れて戦い、勝ったときですね。決勝に残った2人がどちらも僕がコーチングをしている選手だったりするとワクワクしますよ。反対に僕のコーチングがはずれて選手が負けてしまったときは、自分が負ける以上に辛いし、申し訳ないと思う」
田中プロのコーチとしての目標は、世界を目指す若いサーファーを1人でも多く輩出すること。それは、日本のサーフィン界の長年の夢でもある。
「試合で勝ちたいという若い子たちへは、僕がうまくトリガーになって切磋琢磨するような環境を作ってあげたいと思っています。そのなかで勝つことや負けること、嬉しさ、悔しさを教えていきたい。僕ができなかったこと、世界最高峰のステージのWTで戦う日本人選手を増やしていきたいですね。
今はまだWTで戦える日本選手はカノア1人しかいませんが、5人、10人と増えてくれば、日本のサーファーレベルは確実に強くなる。そして100%のプロサーファーがサーフィンだけでご飯が食べられるように、サーフィンがメジャースポーツになることを目指したいと思っています」
2020年東京オリンピックへ、そして未来の日本のサーフィン界へ続く道。田中樹の夢が途絶えることはなさそうだ。
文=眞木健 写真=山本貞彦(サーフィン)