Athlete # 05
プロ総合格闘家
村田 純也(Fighting NEXUS)
大晦日の「PRIDE」観戦に魅せられて
村田純也と総合格闘技(MMA)の出会い。それは小学5年生のときのこと、父親に連れられて観戦した大晦日の「PRIDE」の試合だった。当時、時代の波に乗っていたMMAは大晦日にテレビで放送されるほど、人気も知名度も高かった。
「小学校入学前にはサッカーを、そして、小学生になってからは柔道を習っていて『せっかく連れて行ってもらえるのなら、サッカーの試合が良かったのに』なんて内心は思っていました。ところが、PRIDEの試合を生で観たらハマってしまって。それから夢中になり、学校でも教科書より『格闘技通信』という雑誌ばかりを何度も読んで、MMAの勉強ばかりしていました」
ファンとしてテレビで試合を観戦し、雑誌で勉強していた村田が実際にMMAの世界に足を踏み入れるのは、大学入学してからとなる。格闘技は、もともと競技人口が少ないスポーツのため、メジャースポーツに比べて練習の機会が限られているうえに、MMAでは複数の格闘技を習得しなければならない。何でもありのサバイバルが魅力ではあるが、その反面、選手たちは大変だ。一つの道場ですべての格闘技を習得することは、まずできない。どの選手も、道場を掛け持ちして練習したり、「出稽古」といって所属道場以外に出向いたりして、練習試合を重ねながら力をつけていく。村田も同様に、幼い頃から師事している柔道家の紹介で、現役のMMA選手でもある現在の師匠に出会い、柔術や打撃などを練習していった。
怪我を乗り越え、念願のプロの舞台へ
MMA選手として練習に励み始めた村田の現在の生活は、格闘技一色。大学に通いながら、時間をやりくりしては一日に複数の道場を訪れてスパーリングをする日々を送っている。アルバイト先の飲食店では、試合前の減量期間に入ると、店長が栄養とカロリーを考えて賄い食を出してくれるという。また、その店の常連客には格闘技愛好家がいるらしく、「『(自分が通ってる)道場に来ないか』と声をかけていただくこともあります。気にかけていただけて、本当にありがたいです」と嬉しそうに村田は話した。
アマチュアとして試合に出るチャンスもつかみ、連勝していく村田。着実に階段を上っていくように見えたが、予期せぬことが起きた。2017年3月、練習中に起きた膝の「ロッキング症状」だ。膝関節の両脇にある三日月型の「半月板」組織が膝関節の衝撃を吸収し、膝の負担を軽減することで、スムーズに膝が動く助けをしている。しかし、半月板でも吸収できないほどの強い衝撃が加えられると、半月板は割れ、その一部が膝関節の間に侵入してしまい、半月板のかけらで膝が「ロック」されたように曲がらなくなってしまう。それがロッキング症状だ。激痛が走り、歩くことも膝を曲げることもできなくなる。半月板のかけらが膝関節の間からズレると痛みはおさまるのだが、完治したわけではない。
「痛みがなかなか引かなかったので、病院に行きました。そして、医師に初めて手術を勧められたんです。『手術』という言葉を耳にしたとき、自分が置かれている状況がまったく理解できず、頭が真っ白になりました」
帰り道、ふと気づくと、涙がぼろぼろとこぼれ落ちてきたと話す村田。すぐに師匠に電話して泣きじゃくった。
「試合に出られないこと、練習ができないことが怖かったし、悔しくて悔しくて。振り返ると、あの時期が一番辛かったですね。でも、今は手術して良かったと思っています。こうして復帰して、リングに立つことができていますから」
その後、復帰して5か月後の2017年8月に最後のアマチュア戦で勝利し、同年12月にプロデビュー戦の舞台に立った。
プロでも生計を立てられない厳しい現実。それでも、ひとつの勝利を求めて
MMAは、日本全国に複数の団体が存在し、それぞれ試合を開催している。ちなみに、トップレベルの選手だけが試合に出られる団体と、アマチュア対象の団体の二極化が起きているのが日本の現状だ。村田がアマチュア最後の試合と、プロデビュー戦を行ったのは、東京の新宿に拠点を持つ「Fighting NEXUS(ファイティング ネクサス)」という団体が開催する試合だった。ファイティング ネクサスは、トップ選手とアマチュア選手の間の中間層の選手たちを対象に活躍の場を提供している稀有な団体だ。ファイティング ネクサス代表の山田峻平氏は「プロになったからといって、誰もがそれで生計が立つわけではありません。MMAをめぐる状況は、テレビ放映も少なくなり、さらに厳しくなっていると思います。それでもMMAに情熱をかけている選手が日本にはたくさんいます。彼らの人生の後押しができれば、と思います」と語る。
アマチュア最後の試合に勝利し、意気揚々とプロデビュー戦を迎えた村田だったが、ベテランのプロ選手に3-0の判定負けをする。村田のMMA人生において初めて試合で負けた瞬間だった。そのときのことを村田はこう話す。
「アマチュア時代には引き分けが一度だけありましたが、それ以外ではすべて勝利を収めることができていたので、このときの負けは堪えました。プロデビュー戦という大事な試合で負けたことも自分にとっては大きかったです」
「試合運びは良かった」と評価する周囲をよそに、村田自身はアマとプロの違い、プロの厳しさを痛感したという。「観てくださる誰もが納得するのは、やはり勝つこと。プロは結果を求められるということを改めて思い知らされた」と語る村田は、それ以後、さらに練習に熱を入れるようになった。落ち込んでいる暇はない、懸命にやるしかない。
「試合直後、気落ちしている僕に師匠は喝を入れてくれました。『若いんだから、何をやっても成長につながる。後悔している暇があったら、ビデオを観て研究しろ。練習しろ』と」
師匠の言葉は村田の心に刻まれ、練習の取り組み方もマチュア時代と現在とで、変化があったようだ。
「一回一回の練習で、悔いのないように意識するようになりました。練習は、量だけではなく、質がとても大事で、どれだけその瞬間に集中するかで得られる結果も変わってきます。『練習でやったことがすべて』といわれますが、僕もそう思います。試合では弱音は吐けないし、ましてや自分からギブアップと言える競技でもないですから」
わずか21歳の青年が、今を全力で生きている。ひたむきな姿に周囲は胸を打たれている。
応援してもらえる限り、MMA選手として活躍し続けたい
心から尊敬する師匠の言葉で、深く心に残っている言葉があると村田はいう。
「『強いだけじゃなく、みんなに応援される選手になれ』と師匠には言われています。『応援してるからな』と声をかけてくれるファンや仲間をたくさん増やして、愛される選手になりなさい、と。応援される選手って、魅力があると思うんです。例えば、華があるとか、人柄が素晴らしいとか、会場の雰囲気を一瞬で変えてしまうとか。僕もそういう選手になりたいですね。もちろん、勝つことで応援に恩返ししたいです。みなさんが応援してくださる限りは、ずっと活躍し続けられる選手でありたいと思っています」
ふとしたときに見せる屈託のない笑顔。そこだけを切り取れば格闘家には到底見えないように思えるが、ひとたびMMAの話になると、まっすぐな瞳をこちらに向ける。彼の格闘家の歴史は、まだ始まったばかりだ。
文=佐藤美の