Athlete # 21
ウルトラマラソン
吉沢 協平
まる一日走り続ける24時間レースで日本代表を狙う
フルマラソン42.195km以上の長距離レースを「ウルトラマラソン」と総称しているが、知名度が高いのは100kmレースだろうか。ウルトラマラソンにはさまざまは大会があり、100kmレースのようにタイムを競うものと、一定時間以内で走行距離を競うものがある。
ウルトラマラソンランナーの吉沢協平は、自分のタイムの限界に挑戦すること以上に、遥か彼方まで走り続けることに魅力を感じている。そんな吉沢は、2021年のアジア大会、もしくは、世界大会において24時間走の日本代表の座に狙いを定めている。
ラン歴わずか2年で100kmレース上位に!ハーフ、フル、ウルトラ…年間30試合で実力を養う
「日本代表を狙っている」と聞くと、選手生活が長そうだと想像するが、吉沢がマラソンデビューしたのは、2016年3月。なんとまだ、2年半程度である(2018年11月現在)。高校3年生でホノルルマラソンに出場したが、長距離はそれだけで、大学時代まで中距離選手だった。再びスポーツに本腰を入れ始めたのは2013年だが、その理由はメタボ対策。当時は現在より25kgオーバーの92kgも体重があり、ウエイトコントロールのためにトレーニングジムに通い始めた。それが現在のウルトラマラソンにつながっているというから、なんともユニークである。
2016年のフルマラソンで完走はするが、18歳の自分のタイムを超えることができない悔しさをバネに、その後も練習を重ね大会に出場し続ける。そして2017年9月、郷里の宮城県でウルトラマラソン大会「みやぎ湯めぐりウルトラ遠足」の初開催を知った吉沢は、「フルマラソン以上の長距離をゴールする達成感を味わってみたい」とエントリー。この大会は標高1,000m級の山越えもあるハードなコースなのだが、ウルトラマラソン初参戦にも関わらず、上位の成績を収めることができた。この自分の限界を越えて走り切る体験によって、吉沢はウルトラマラソンの魅力にはまってしまった。
もともと熱中すると、とことんやり抜くタイプのようで、「天候、仕事の繁忙期など関わらず、必ず毎日走る」という日々の練習は20〜30km、ハーフ・フル・ウルトラマラソン大会に年間通して30本程度出場している。フルマラソン関しては、海外の大会まで出場入賞もしている。また、研究熱心な一面もあり、長距離を走っても「疲労しにくい走り方」「足が痛くならないフォーム」などを独自に開発し、所属しているランニングサークルの仲間に指導することも多々あるという。レースによっては、フルマラソンランナーのペースメーカーとして大会に出場もしている。こうした吉沢の活動を知る人達は、「走り始めて2年程度とは思えない」と舌を巻くそうだ。
「子ども達に父親の背中を見せたい!」。自分の可能性に挑戦する理由
現在の24時間走の日本代表は、直近の成績に加え、過去2年間の成績も評価対象になる。だから、年間の大会数と成績を着実に積み重ねていく必要がある。吉沢が3年後の日本代表に焦点を絞っているのは思いつきでもなく、緻密に計算してのことである。
「この2年間の自分の成長を振り返ったとき、今後の自分の可能性を感じました。そして、日本代表の方とも交流させていただいていますが、会話をする中で、どう組み立てていけば日本代表になれるのか、そしてそれが実現可能なのかが見えてきました。2021年まで2年有余、『狙える』と思った。とはいうものの、課題はあります。24時間走の上位選手は250k以上を走行しますが、私は24時間走初挑戦となった9月(2018年)の大会では174kmとまだまだです」
取り組むべき課題について吉沢は語る。「走りは独自に研究し、その技術を他の選手に指導して結果も出ています。だから200km超えでも十分対応できますが、距離を競う場合、走りの技術だけでは強くなれないですね。24時間走は、まず寝ないで走り続ける『不眠ラン』ができないと勝てない。
この間の大会では止むに止まれず1時間半寝てしまい、その時間ロスしてしまった。また、走っていれば当然スタミナが切れるので、エネルギー補給も必須。走りながら食べ続け、水分を摂取し続けられる内蔵の強さが求められます。私に必要なのは、これらの力を2年間で強化することですね」
楽しげに語る吉沢を見ていると、ウルトラマラソンが好きなことが伝わってくる。吉沢にとっての魅力はなんだろうか。
「40代になり、この年齢でも自分の可能性を追求できるスポーツがあるというのは、魅力です。『年齢に関係なく、いつからでも挑戦できることがあるんだ』と分かれば、『年齢や条件などで足踏みしている方も勇気が湧くんじゃないか』と思っています。実は、ウルトラマラソンは幅広い年代層の方達が参加している競技で、中には70代以上の女性なども素晴らしい結果を出されているんですよ。
それに加え、子ども達に『父親が自分に挑戦している背中』を見せられることでしょうか。子どもって、外で父親がどんな仕事をしているか理解しにくいと思うんですよ。社会人経験もありませんしね。でも、スポーツだと結果が大会の成績として出るので、分かりやすい。仕事以外にも、全力で人生を楽しむ姿を見せたいですね」
所属するランニングサークルの練習会に中学生(当時)の長男が参加した際、吉沢の走りについていけなかったそうだ。「それから部活以外でも真剣に練習を始めたようですよ」と嬉しそうに語る吉沢の顔は父親のそれだった。
アスリート自身の力で「スポンサー提携、仕事創出」できるサポートを
自らアスリートとして活動する吉沢だが、実は、アスリート支援事業も2017年9月から展開している。スポンサーを見つけたいアスリートと集客やPRをしたい企業が出会うサイト「Find FC」および、アスリートが選手価値を高めてスポーンサー獲得するためのノウハウサイト「アスカツ」を運営。こうした事業を始めるきっかけになったのも、やはりウルトラマラソンの影響なのだ。
「大会に出場して、トップ選手や日本代表選手と出会うことが多くなりました。しかし、残念なことに、どんなに成績を残しても、プロとして生計が立たない現状を目の当たりにしました。『社会を変えていくことはできないだろうか?アスリート自身がスポンサー提携ができたり、競技にちなんだ仕事を生み出したりできる支援ができないだろうか?』と一人のアスリートとして考えました。もともと本業がITコンサルティング業ですので『自社の強みを活用できる事業を』と思いまして」
アスリート支援事業には、オリンピック日本代表候補のバスケットボール選手やフェンシングのナショナルチーム所属選手、ソフトボールの日本代表候補選手など、さまざまな競技選手が多数集まっている。今回、アスリート支援事業である「Get Support Project」の運営会社、株式会社プラスワンエージェントと提携もした。さらなる将来の展望を聞いてみた。
「将来的には自社をアスリートだらけにしたい(笑)。アスリートと一緒に仕事ができ、一緒にアスリート支援ができたら楽しいですね。そして、アスリートとしての経験値を社会で活かして、それを武器にしてたくましく世を渡ってほしい。それぞれの個性や強みを活かして活動できることが理想ですね」
ウルトラマラソンとの出会いが、吉沢の後半の人生をすっかり変えてしまったようだ。心から「楽しい」と思えることに出会ったということだろうか。アスリート、アスリートのサポーターという、二つの顔を持つ吉沢の今後の活動に期待したい。
文=佐藤美の