大好きなBMXを子どもたちが憧れる職業に。挑戦し続けるプロBMXライダー

Athlete # 13
プロBMXライダー
伊藤 真人

身体の一部と化したBMXでアクロバティックな技を披露

前輪を浮かせたまま後輪を滑らかに走らせ、ハンドルを支えにジャンプしながらの横回転。

アクロバティックな技の数々を披露するのは、プロBMXライダーとして世界を舞台に活躍する伊藤真人だ。BMXは20インチ径ホイールを持つ頑丈かつ軽量な競技用自転車のことで、ハンドルがぐるぐる回ったり、「ペグ」という足場として踏むステップが付いていたりと、伊藤いわく「遊ぶことに特化した自転車」。それを自在に操っているというより、むしろBMXが身体の一部と化している印象が断然強い。

汗をぬぐいながら爽やかな表情を見せる伊藤とBMXとの出会いは、中学1年生の夏だった。

すぐさま「フラットランド」に夢中。独学で初出場・初優勝



小学生の頃から、自転車で遊ぶのが大好きな“自転車小僧”だった。マウンテンバイクのカタログに掲載されていたBMXという未知の自転車。それをいつも興味深く眺めていたという。そのBMXを年上のいとこが手にしたことで、伊藤は初めて本物のBMXを間近に見た。いとこが始めたのが「フラットランド」というフリースタイルの一種。お年玉貯金を全部引き出してBMXを手に入れた伊藤は、すぐさま虜となった。

「『フラットランド』は、平たい地面の上で技の難易度や独創性を競う競技です。『フラットランド』の技って、人によって体格やバランスの取り方が違うため、同じ技でも見え方が別物のように異なるんです。そのおもしろさにハマりましたね。あと、場所を選ばずいつでも練習できることも良かったです」

独学で練習を開始した伊藤は、まだ中学生であったにもかかわらず、全国各地の大会に果敢にエントリーした。そこで憧れのBMXライダーから直接アドバイスをもらうこともあったという。技の上達に積極的な伊藤は、スポンジのごとく吸収していった。

そして中学3年生のとき、初出場した全日本選手権大会のノービスクラスで、なんと1位に輝く。

「応援に来てくれた家族や友人はビックリしていました」

独学とはいえ、毎日練習にのめり込んでいた。もしかしたら、伊藤本人にはその自信があったのかもしれない。

立ちはだかった「プロクラス」の壁。技の習得に終わりは無い



その後、伊藤は全日本選手権大会における最高峰「プロクラス」を目指すようになる。

「当時は『プロのBMXライダーになりたい』というより『プロクラスに出場したい』との気持ちが大きかったです」

「プロクラス」に出場するには、年3戦の「エキスパートクラス」で優勝するか、年間ランキングで3位以内に入る必要があった。この厳しい条件には「ノービスクラス」で初出場・初優勝を果たした伊藤も相当苦労した。あと一歩のところで涙をのんだことも少なくない。

そうして、初の「エキスパートクラス」出場から6年後の2011年、伊藤は年間1位を飾り「プロクラス」出場を見事に獲得した。ただ、この喜びもつかの間、新たな壁が立ちはだかる。

「『プロクラス』上位ライダーの技の美しさや複雑さは別格で、今のままでは全く通用しないことを痛感しました」

技の完成度を求められる「エキスパート」とは違い、「プロクラス」では技の難易度が勝敗を分ける。伊藤は、より高みを目指して難しい技の習得に貪欲にチャレンジしていった。

「当時は『サーカス(ブレンダー)』といった技の難易度が高く評価されていたため、必死に練習して自分のものにしました。けれど、今ではそう評価されません。というのも、ライダーの技術レベルが日に日に向上しているからです。しかも、日本のBMXレベルは世界的に見ても群を抜いている状況です。技の習得には終わりが無い感じですね」

BMXライダーの世界に運命的に舞い戻り、信念のブレーキジャンプで世界3位に



そんな伊藤だが、一度はBMXライダーの世界と距離を置いたことがある。「プロクラス」に出場し続け、大学を卒業した後、自転車専門店「サイクルベースあさひ」に就職。約2年間、正社員として自転車のメンテナンスや販売業務に携わった。「『プロのBMXライダーになりたい』というより『プロクラスに出場したい』との気持ちが大きかった」という伊藤の言葉を思い出す。念願の「プロクラス」に出場したことで、心の中でひとつの区切りが付いたのだろうか。

しかし、BMXの神様はそれを許さなかった。ある日、伊藤のもとに同じくBMXライダーとなった幼馴染から連絡が届く。その幼馴染が勤めるのは、アラブ首長国連邦の連邦首都アブダビ市にあるフェラーリのテーマパークだった。

「BMXのパフォーマーがひとり辞めてしまって人手が足りない。お前を紹介しても良いか?」

幼馴染からのオファーを承諾した伊藤は、副店長から店長に昇格する直前に会社を辞め、アラブ首長国連邦に飛んだ。2016年に帰国するまでの2年間、日本から遠く離れたアラブの地でBMXパフォーマーとして活動した。

そして帰国するやいなや、またしても運命的な出会いが伊藤を待ち受けていた。当時まだ小学生だった神戸の天才BMXライダー佐藤惣叶(みなと)。伊藤は、彼の海外遠征にメンテナンス担当兼通訳で同行することになる。



2年間の自転車専門店勤務で培ったBMXのメンテナンス技術と、2年間のアラブ生活で身に付いた英語力が功を奏した。「すべての経験がBMXにつながっている」と話す伊藤も、佐藤と共に選手としても出場。だが、自身初の国際大会挑戦となった2016年のマレーシア大会では、佐藤に負けて苦笑いを浮かべたという。

2年間のBMXパフォーマーを経て、プロBMXライダーとしての情熱と勘を徐々に取り戻した伊藤は、翌2017年のドイツ大会で世界3位を成し遂げた。しかも、この快挙には、常識をくつがえす信念があった。

「それまでの審査には、ブレーキを使用すると減点されるような風潮があったのですが、どうしても『ディケード』という後輪のブレーキでジャンプする技で勝負をかけたかったんです」

このリスクを冒したのには理由がある。BMXを始めたばかりの伊藤にアドバイスを送ってくれた憧れのBMXライダー、その人が得意としているのがブレーキジャンプだったのだ。結果、高得点を叩き出し、その後の審査の風潮さえも変えるほどのインパクトを見せつけた。

「ブレーキジャンプのカッコ良さを証明できたことは本当に気持ち良かったですね。憧れのBMXライダーは、今も僕のヒーローですから」

無邪気な笑顔。一瞬“自転車小僧”に戻った気がした。

世界一のプロライダーへ。BMXを「稼げる職業」にしたい



現在、伊藤は日本初のBMXスクールを大阪に立ち上げ、後進の指導にも注力している。

「BMXを買った後、今までは習う場所がありませんでした。僕みたいに独学で練習しなくても良いように、と思いまして」

生徒の年齢は5歳から小学3年生までくらいが多いという。伊藤の指導方針は「褒めて伸ばす」。ひとつの技でも達成にいたるまでの段階を細分化するなど、子どもたちひとりひとりの身体能力や集中力に合わせたマンツーマン指導が好評だ(レッスンは最大2名まで)。

「特に『フラットランド』の技は、地道に練習を重ねれば必ずできるようになります。子どもたちには、楽しみながら何かを達成することの喜びを味わってほしいと考えています」

「僕は、BMXを通じて人生が激変しました。『技を習得する』といった目標を達成するために欠かせない忍耐強い精神力が養われましたし、世界中に友だちもできた。そんなBMXをたくさんの子どもたちに知ってもらいたいですね」

今では競技人口も増えているBMXだが、それ一本で生きていくには厳しい現実もある。伊藤のように、プロBMXライダーとして大会に出場しながらレッスンなどで生計を立てられているケースはまだまだ多くない。

「世界一のプロライダーになりたいですし、子どもたちのためにもBMXの地位をもっともっと高めて『稼げる職業』にしていくことが今の夢です」

BMXはスポーツかカルチャーか。そんな議論が聞かれることもある。しかし伊藤は、BMX全体を盛り上げていくことに価値を見出している。日本最高峰のダンス公演“ファイナルレジェンド”にゲストパフォーマーとして出演したり、プロジェクションマッピングと初めてコラボしたりするなど、BMXとアートの融合という新境地も開拓中だ。

BMXが大好きだからこそ、伊藤はこれからも歩み続ける。

文=権藤将輝 写真=古賀亮平(上から4枚目/モノクロ写真、上から5枚目/佐藤惣叶とのツーショット写真を除く)