フェンシングとともに目指す未来へ

Athlete # 30
フェンシング
狩野愛巳

フェンシングは人生そのもの。右手首の故障と向き合いながら次のステージへ



フェンシング「フルーレ」の五輪強化選手である狩野愛巳は、小学校1年生でフェンシングを始め、小学校3年生の時にはすでに、「勝つ楽しさ」を覚え、フェンシングに打ち込んでいく。中学時代は全国優勝、高校時代は様々な国際大会に出場し好成績を収め、早稲田大学進学後も着実に日本ランキングを上げ、2018年7月には世界ランキング日本人最上位にまで登りつめていった。
「自己成長も、仲間も、ライバルも、喜びもすべてフェンシングが与えてくれた」と語る狩野にとって、現在、人生最大の壁が立ちはだかっている。原因不明の右手首の腱鞘炎による痛み。2度の手術を越え、以前と変わってしまった右手首でどう戦うか模索を繰り返しながら、進化しようと新たなる挑戦をしている。

「フェンシングが遠のく」絶望。新たな壁の越え方を模索



フェンシングは「エペ」「フルーレ」「サーブル」と3種類あり、中でも「フルーレ」はフェンシングの基本が詰まっていると言われ、攻撃はシンプルに前面・背面の胴体に対する「突き」のみである。フルーレは相手への「突き」が決まればポイントとなるが、攻撃の前に「有効権」を獲得しないと攻撃できない。この有効権は、「1秒の中で、何回も入れ替わることもあり、本人たちも分からなくなることもあるほど複雑」というくらい、剣先の技巧や駆け引きがものを言う。肩、腕、手首、手を脳の指令通り、いかに自在に動かせるかが勝つための要素ともなる。だから、右手首の負傷は選手生命にも関わるのだ。

狩野が右手首の痛みを感じ始めたのは2017年の中頃。痛みが激しくなり、病院に行ったところ重度の「腱鞘炎」との診断がついた。狩野は手術を決意し、2017年11月に第1回目の手術に挑んだが、残念なことに痛みは取れなかった。再度、専門医と相談の上、2度目の手術を2018年5月に行った。約1年間の休養を経て2018年秋に本格復帰したが、やはり痛みは取れない。さらに悪いことに手首の可動域が狭くなってしまい、以前のような剣さばきできなくなっていた。このような状態の中、11月のワールドカップでは思うような結果が出ず、狩野の成績は沈んだ。

「ワールドカップでは、可動域が狭くなった手首で効果的に戦うことが出来ませんでした。自分らしいフェンシングがまるで出来ず、ランキング下位の選手に負けてしまいました。そして、終わった後に襲ってくる強烈な痛み…。日常生活がままならない時期もあり、『フェンシングが遠のいていく』という絶望感に襲われました」

フェンシングとともに生きてきた狩野にとって、「フェンシングができない」という恐怖は「生きる意味がない」ということに直結するのかもしれない。「人生全般を眺めれば、まだ長くは生きていないですが、それでも一番の壁にぶつかっていて…。それをどう越えればいいのか、壊せばいいのか、引き返せばいいのか分からなくなりました」と狩野は苦しい心情を吐露する。

フェンシングと自分を取り戻すために、希望と期待を胸にリハビリに取り組む



そして、こうも語る。「故障した選手が手術後、復帰して活躍するというニュースを耳にしますので自分がその立場になった今回、『私もそうなるはず』と思っていました。でも、実際はそんなに順調にはいかない。『ああ、あれはシンデレラストーリーだったんだ』と、さらに絶望的な気持ちになってしまって。怪我の前は、『2020年の五輪が手の届くところにある』という感触がありましたが、まったく手の届かないところに遠ざかってしまったようでした。そして復帰してみたら、どの選手もレベルアップしていて『今の私のレベルでは席がない』と痛感しました」

打開策を模索していた狩野はワールドカップ帰国後、ある縁から故障選手の競技復帰を専門とする治療家に出会い、定期的な治療と自宅でできるリハビリを行うようになった。「身体のケアと手首の治療をしてもらいながら、自宅では、首回りやインナーマッスルの強化、腰痛へのアプローチに取り入れたエクササイズなどをしています。リハビリの効果は長期的な視点で捉えていますが、嬉しいことに腰痛は解消されてきています。もともと新しいことをするのが好きなので、期待と希望を持って取り組んでいます」と狩野は言う。

そんな中、12月に行われた全日本選手権大会に出場し16位を獲得した。「もともと剣がもてないほど痛みがひどかったのですが、全日本選手権の出場が決まっていたこともあり、出場することにしました。予選の結果がかなり悪かったのですが、『ひとまず、今できることをやってみよう!』と練習のつもりでトーナメントに挑むと、思ったより戦えて今の手首でできる戦い方を少し掴みました。結果はベスト16とパッとしませんが、収穫のある試合でした。0.3歩ずつくらいは地道に進んでいるのかな、と思って」

狩野は身体的な機能の改善は認めるものの、今回の故障で受けた”精神的ダメージ”にも言及している。「今までに経験した失敗や挫折よりも遥かに大きすぎて、世界の上位と戦っていた時の自信や勝気さが消えていると自覚していますし、そこを回復させたいと思っています。そのためにも、フェンシングでも新しいことに挑戦し、リハビリも希望を持って進めていくつもり」

心身ともに大きな回復の兆し。五輪へ向けて力強く歩み出す



全日本選手権後、癒着を剥がす治療を病院で受けると手首の可動域が回復。その後行われた全日本団体戦にも出場し団体で3位となった。「全日本団体戦の結果に満足はしていませんが、『満足できなかった』と思えたことが最大の収穫。仲間と一緒に戦えたことも嬉しかったですし、『もっとみんなに貢献したい』と悔しく思えたことも嬉しかったです。今までは、手首が動かないという悔しさで、どうしてもフェンシング自体に向き合えませんでしたが、身体のリハビリが進むにつれ、精神的にも変化が訪れてきました」

そして言葉を続ける。「今までは、壁にぶつかると『自分の力で何とかする』という方法を選択していましたが、今このタイミングで、『実質的にも精神的にも、新しい解決策を探して成長する機会』なのかなと思っています。人間としても選手としても恥ずかしくない人でいられるよう、前を向いて進んでいこうという気持ちが湧き上がっています。そして可能性がある限り、2020年の五輪出場を目標にしていきます」

狩野に最初に話を聞いたのは、ワールドカップ帰国直後だった。人生最大の苦難に活力を失い途方にくれていた状況にも関わらず、精一杯の笑顔をこちらに向けてくれた。その姿は痛々しくもいじらしく、無理して笑うその笑顔が美しいとさえ思えた。しかし、それから約ひと月経った12月中旬、彼女は大きく変化していた。傷心しきっていた少女はどこかへ消え失せ、困難に果敢に立ち向かう強い女性として姿を現した。たったひと月で彼女は自分の力で進化を遂げ、前に強く歩みだしている。さすがとしか言いようがない。このスピード感と変化の質を鑑みると、「本当に2020年に最高の檜舞台で彼女の戦う姿を観られるだろう」と思わせてくれる。狩野の心からの笑顔が見られることを心待ちにしている。

文=佐藤美の

フェンシング/Fencing

アスリート名

狩野愛巳

競技名:フェンシング

生年月日:1996/11/27

出身地:宮城県/仙台市

身長・体重:163cm/58kg

血液型:B型

趣味:インスタ映えする食べ物の写真を撮ること

競技名:フェンシング

生年月日:1996/11/27

出身地:宮城県/仙台市

身長・体重:163cm/58kg

血液型:B型

趣味:インスタ映えする食べ物の写真を撮ること

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