逆境を乗り越え続けるプロボクサー。挑み続ける姿をとおして「本当の強さ」を伝えたい

Athlete # 20
プロボクサー
荒谷 龍人

初心にかえって掴んだ勝利。スランプを克服し自分のボクシングを取り戻す

2018年9月14日後楽園。3度の負け越し後の試合に挑む、フェザー級の荒谷龍人。2017年2月に東洋太平洋タイトルマッチで王者に敗北してから、自分のボクシングを見失っていた荒谷にとって、この試合は自分を取り戻す意味も込められていた。

「初心にかえる」、その想いで挑んだリングでは、中盤に差し掛かり形勢がかなり不利に。会場に詰めかけた200人以上の荒谷の応援者が固唾を吞んで見守る中、荒谷は決して諦めず、ねばりにねばって、勝利を勝ち取る。その姿に涙する人もいたほど歓喜に包まれた瞬間でもあり、荒谷が自分らしさを取り戻した瞬間でもあった。そんな荒谷とボクシングとの出会いは、高校時代に遡る。

医師から「一生歩けない」と宣告を受けるも、3年かけてプロボクサーに



高校までサッカーを続けていた荒谷は、インターハイで16位まで駒を進めることができたが、卒業後にサッカーを本格的に続ける意思はなかった。また、もともと格闘技も好きだったのでボクシングも習っていたが、「プロを目指す気はなかった」と言う。

ところが、荒谷の人生を大きく変える出来事が起きる。スポーツトレーナー専門学校に通っていた19歳、オートバイに乗った荒谷は、車と正面衝突の大事故を起こしてしまうのだ。

事故から目が覚めると、全身動かすことができず、少し首を動かそうとするだけで吐き気に襲われた。大腿の複雑骨折、肩甲骨骨折など状態は極めて深刻で、「生きてるだけで奇跡、一生歩けない」と医師から宣告された荒谷は、「『俺は終わった』という絶望感で、目の前が真っ白になりました」と当時を振り返る。

「何故、自分が?どうして自分なんだ?」と、不条理な運命に恨む思いを強めていく荒谷だったが、ある時を境に捉え方が一変する。

「『死んでもおかしくないはずなのに俺は今、確かに生きている。それは俺に生きる意味があるからだ』と思ったんです。そして、ごく自然に『ボクシングをしたい』という気持ちが湧き起こりました」

正義感が強く、「強さ」に対して強い憧れを持っていた荒谷がボクシングを始めたのは、「身近な人を暴力から守るため」でもあった。10代の頃の荒谷の周りには、血気盛んな輩が多く、仲間が暴力事件に巻き込まれそうになることも多々あったという。だからこそ、肉体的な強靭さが欲しかったのだが、それが事故に遭遇したことで「強さ」の定義が変わったのだ。

「絶望に直面しても、そこから這い上がることができるのなら、人はどんなことでも乗り越えられます。『本当の強さとは、辛い逆境を乗り越え続ける生き方そのものであり、その生き方を貫き通していけば、周囲の人に勇気と希望を与えることができるんだ』と気づきました。だから、『歩けない』と宣告されたこの状況をひっくり返し、プロボクサーになると決意したんです」

驚くことに荒谷は2か月で退院し、21歳で神奈川県アマチュア新人トーナメント・ライト級で優勝、事故から3年後の2010年、22歳でプロテストに合格するという、奇跡を起こした。

「真の強さ」とは逆境を越えていく力。ボクシングという道で伝えていきたい



今でこそ、後援会も200名近く会員が増え、スポンサー企業も増えている荒谷だが、最初から順風満帆ではなかった。プロを目指し始めた当初は、荒谷の言葉に耳を貸さない人も多かったそうだが、弱音を吐かず、地道に努力し結果を出していく荒谷の姿に、ひとりまたひとりと賛同者が増えていったという。

「当然ですが、『そんなの無理だよ』と言われることが多くて。でも、情熱って伝染するんですよ。こちらが暑苦しいくらい(笑)情熱を持って伝え、生きていると、共感してくださる人が増えていって…。ありがたいことに、スポンサーさんや後援会の方たちに支えられています」と嬉しそうに語る。

荒谷が長年継続しているブログも、近状報告や想いの共有の他に、自分が励まされた署名人の言葉を紹介したり、ポジティブな”荒谷語録”を書き綴るなどして、「ファンや読者の気づきになれば」という想いで発信している。

とはいうものの、事故の後遺症は大きかった。今でも脚と肩は健常な人より可動域が狭く、体幹と筋力の強化でその弱点を補っているし、試合の怪我も多く、何度か眼球骨折を起こし、「後1回骨折したら失明するかもしれない」と医師から忠告されている。それでもなお、高みに挑みたくなるのだ。

「自分が変われば、すべてが変わります。それをボクシングで証明していくことが、自分の生きる意味。もちろん、怪我や失明は避けたいです。でも、だからと言ってそこに怯えて挑戦を諦めることはしたくない。『荒谷が諦めないんだから、自分たちも頑張ろう』みたいに明るく思ってもらえると嬉しい」という言葉どおり、荒谷はどんな時でも笑顔を絶やさず、苦しい状況すらも楽しみながら克服していく。

目指すは日本王者。強みを活かし挑み続ける生き方を貫く



2018年9月の試合は、荒谷の新たな転機になった。なぜなら、連続して3回負けたことによってスランプに陥り、打開策が見えなくなっていたが、直前で突破口を見出したからだ。

「体幹をしなやかにすることで、身体機能を高める”体芯力®️”を提唱している、パーソナルトレーナーの鈴木亮司さんの練習でのことです。自分のフォームを撮影してもらったのですが、そこで大きな気づきを得ました。実は、伸び悩んだこの1年間、弱点克服に意識が偏り、自分の強みを全く活かせなくなっていました。それが、体幹をしなやかにする練習の後では、フォームが良くなっていました。撮影してもらうまで、それに全く気づけなかったんです」

荒谷はフェザー級の中では手足が長く長身のため、間合いを開けて上からパンチを繰り出すことが可能で、それが荒谷の強みである。しかし試合になると、身体に余計な力が入りその戦い方ができず、さらに「別の戦術で戦わなくては」という考えが先行して、自分らしい試合運びができなくなっていた。そこに気づくきっかけとなったのが、先の撮影である。迷いを払拭し、原点に立ち返えることで得た今回の勝利の重さは計り知れない。最後に荒谷に今後の展望を語ってもらった。

「体力、怪我など考えると『何歳まで続ける』という具体的なことは決めていませんが、まず、日本王者になり、そして世界に挑戦していきます。『漢塾』という生き方を伝える場を主催していますが、そのメンバーたちにも背中を見せ続けていけるような生き方を貫いていきたいですね」

暴力から大切な人を守るという強さから今は変わり、たくさんの人の夢や可能性を守る強さを手にした荒谷。「僕の”リング”では僕が主人公ですが、他の人の”リング”ではその人が主人公で僕は脇役。だから、僕は名脇役として、その人の人生を熱く最高なものに演出したい。周囲が僕を見て『自分もできる!』と思ってもらえたら嬉しい」と柔らかく笑う荒谷の話を聞いていると、「目の前の嫌なことも越えられそう。頑張ってみようかな」と思えてくるから不思議だ。やっぱり、情熱は伝染するのだ。

文=佐藤美の
写真=Isao Kamachi(1枚目)

ボクシング/Boxing

アスリート名

荒谷龍人

競技名:ボクシング

生年月日:1987年11月7日

出身地:神奈川県座間市

身長・体重:175㎝ / 68㎏

血液型:B型

趣味:筋トレ、読書、1人旅

競技名:ボクシング

生年月日:1987年11月7日

出身地:神奈川県座間市

身長・体重:175㎝ / 68㎏

血液型:B型

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